Q よく言及される「タガログ人」とはどういう人たちですかか?「マンニャン族」という場合も、いろいろな人々があるようですが、それはどうなっているのでしょうか?
A フィリピンはたくさんの民族で構成されており、その数は数百とも言われ、それぞれが違う言語(方言)を持っています。その中で、ルソン島中部やミンドロ島に住むタガログ人は、諸島中央部に住むビサヤ人、ルソン島カガヤン低地に住むイロカノ人等と共に多数派です。現在国語として使われているフィリピーノ語はタガログ語をもとにして作られています。
一方マンニャン族をはじめフィリピンでは数多くの少数民族が山間部を中心に生活しており、多数派のフィリピン人やスペイン文化への同化を拒んできました。彼らは先住民族とも呼ばれ、その独自のアイデンティーティから、一般フィリピン人と区別され、また差別されてきました。マンニャン族という呼称は、ミンドロ島及びパラワン諸島に住む原始的生活を営む先住民族群を指す通称名で「人間」という意味があります。実際には7つの違う部族が違う言語と文化を持っています。事業地ミンドロ島サンタクルス郡には、アランガン族、イラヤ族が居住しています。
Q マンニャン族が低地のフィリピン人に虐げられている、差別されているとは具体的にどういうことですか?
A マンニャン族への差別意識は、古くは18世紀頃から始まっていると考えられます。当時はスペイン人によるキリスト教化がフィリピンの主要地でほぼ終わり、キリスト教徒でない人々は、野蛮人と見なされたきらいがあります。特にマンニャン族のようにきわめて原始的な生活スタイルをもった先住民族の場合、キリスト教徒でないことと後進性とが結びついて、時に非難の対象になったことさえあります。例えば19世紀終盤、米西戦争の後アメリカの半統治下で共和制が敷かれましたが、ミンドロ州は代表を議会に送ることができませんでした。当時の人々はそれを「マンニャン族のような遅れた民族がいるからだ」、と彼らを激しく非難、時に暴力でもって迫害した、と言われています。
現在でも事情はほとんどかわりません。一般のフィリピン人の差別意識は根強く、例えば公共のバスやジープでも、マンニャン族は大抵の場合車内ではなく屋根の上です。近くによると「臭い、あっちへいけ」、といった暴言を聞くこともしばしばです。公共の病院ですら「マンニャン専用」の病室があり別になっています。義務教育を受ける権利さえ無視されているのですから、先住民族の権利を守る法律などほとんど意味がない、といっても過言ではないでしょう。学校に行けない彼らのほとんどはフィリピン人であるという自覚さえないほどです。文字も読めず、数も数えられないのですから、低地のフィリピン人にだまされることはしょっちゅうです。畑仕事の日当はピンハネされますし、土地をだまし取られることもしばしばです。
Q マンニャン族の人々の教育レベルが低いことをいいことにして、21世紀協会が事業を押しつけていませんか?
A 21世紀協会はいつも最低の資金で活動しています。スタッフや学生の食費さえ欠く有様です。そのためもあって、協会で事業を設計し、人々に事業への参加を呼びかけたことは一度もありません。事業はすべてマンニャンの人々の強い要請に基づいて立ち上げられたものばかりです。14年前に初めてミンドロに入った頃は、こちらからあれこれ事業を提案していましたが、今では、識字や教育の意義が敷衍し、協会への援助の要請は後を絶ちません。大小の援助要請のためマンニャンの人々の訪問が月に100件ほどあるくらいです。
また、ローカルリソースを最大に利用することも心がけています。もちろん、マンニャンの人々に事業への金銭的投資を求めることはできません。しかし、労働や作物などの提供は常に受けています。小なりといえ、何らかのリソースを提供していると、事業への身の入れ方が全然違ってきますし、参加意識も高揚します。
事業内容については、マンニャンの人々に設計する力はありませんので、協会スタッフが設計しますが、PRA/PLAなどの参加型手法を駆使して、設計、実施、評価のすべての段階において、住民の意志を反映するよう心がけています。
Q 多様性や選択の自由を主張されていますが、民族独自の言語以外で識字教育を行い、伝統的な生活様式を捨てて農業を進めるための援助を行っています。これは多様性ではなく、画一性を育てていることになりませんか?
A 21世紀協会は多様性や選択の自由をめざし、滅びかけている少数民族マンニャン族の人間開発にあたってきました。人々の文化を大事にし、誇りを取り戻し、なおかつ一般社会に適応できる力をつけさせたいと、教育、農業、医療衛生などさまざまな方面からアプローチをしてきました。とくに教育、農業において重点的に取り組んできましたが、取り組みながら常に疑問を持っています。
識字教育は民族独自の言語ではないタガログ語、ときには英語で行っています。また、伝統的な反遊牧的生活様式を捨てさせ、農業を教えています。これは多様性ではなく、逆に画一性を育てていることにならないだろうか、と。
文化の保存といった場合、前向きの保存と後ろ向きの保存が考えられます。
森林を破壊され、食べ物がなくなり、生活手段のないマンニャン族は、このまま放置すれば、民族も文化も絶滅するしかないのが現状です。伝統的な半遊牧生活が成立しないような自然環境になった現在、彼らが選んだのが、低地人の字を学び、低地人の行っている農業を習得して生活の糧にしようという道です。21世紀協会は彼らの意志を受けて、積極的に彼らの文化を解放し、その中で、低地タガログ人や世界と交わり、彼らの文化を有機的に発展させることにより保存するという「前向きの保存」の道を支援しています。
もちろん、これまでの文化をそのままに残し、たとえば、マンニャン保護区のような区域を作り、人々を囲い込み、そこついてのみ人工的に自然の回復をはかり、伝統的な暮らしを守ってあげることもできます。しかし、この「後ろ向きの保存」の道を選んだ場合、人々の自立はあり得ず、いつまでも、外部の善意の支援に頼ることになります。人々は「天然記念物」のように保護される対象となるのです。
そもそも、伝統というものは展開し、変化していくものではないでしょうか。新しいもの、古いものが並立し、外部の影響を受けてさらに変化し、展開して行かずして、伝統や文化の意義があるでしょうか。民族の生存、文化の保存を硬直的に行うには閉鎖された世界を作り、外部との交渉をかたくなに拒否するしかありません。事実、そのようにして山奥に引きこもって出てこようとしないマンニャン族の集団もいます。その集団も、村で収穫があるとなると山から下りてきて、食べ物の分け前にあずかりにきます。
文化は外部の影響で変化するものですが、文化はまた外部の影響を排し、自己のアイデンティティーを保つものでもありす。それは不動の動者というべきもので、地球のように自転し、太陽の周りを公転しながら、その上に住むわれわれには不動の大地を提供しているのです。拠って立つ大地があればこそ、人は自由に活動することができるのと同様、自己の文化を大事にしてこそそれを発展させ、外部と交渉しても蹂躙されずにいられる。それが文化の持つ力なのです。
Q 半遊牧民族の文化保存策として何か積極的な行動をとっていますか?
A 21世紀協会が周辺のマンニャン族村々とともに設立を進めているマンニャン族人間開発センターでは、文化の保存ついてさまざまな試みがなされています。
まず、マンニャン族の言葉について、調査し、簡単な辞書を作成したり、マンニャン語で書かれた絵本を作成したりしています。本来、文字を持たない人々の言葉を文字に移すことは「保存」というよりも、発展的保存に当たるかもしれませんが、このような矛盾ともいえる行動も滅びかけている民族の文化保存において時に必要なことかもしれないと考えています。余談ですが、マンニャンの一部族、ハノノオ族はフィリピンの民族の中で唯一文字を持っていた人々ですが、残念ながらこの文字は現在使われていません。
マンニャンの伝承、部族ごとの習慣、食べ物、信仰なども取材しました。
生活面においては、マンニャンの人々の知恵を集めています。薬草について教えてもらい、データを取って保存し、将来的には詳細に研究ができればと考えています。マンニャンの各部族の使う臼と杵、あるいは、服装、持ち物、籐かごなども集めて、センターにミニミュージアムを設け、展示することにしています。日本の学芸員の資格を持った人間が管理、研究指導をします。
さらに、応用編として、IP knowledge (indigenous people's knowledge:先住民族の知恵)を取り入れたパーマカルチャー農村の設計を進めています。これは文化の発展、展開をねらったもので、自然との共生、さらに、21世紀のあるべき地球の姿をマンニャンの人々から学ぼうとする野心的な試みです。貨幣経済の浸透とともにますますだまされることが多くなったと言えます。
マンニャン族の社会についてのレポートはこちら。