事業の自己評価

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《12年間を振り返って》

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理想からの出発

 21世紀協会の歴史は「すべての子どもに教育を」という理想だけで始まった。1990年に任意団体として出発した当初、会員の誰一人としてNGO活動の経験があったわけではなく、全くのアマチュア集団であった。また、当初どこの誰を対象に援助をはじめるか、といった最も基本的なことすらきまっておらず、援助を開始するためにそのパートナー探しからはじめたのである。しかしその理想が徐々に形になり、現地での経験、現地の人々との「対話」の積み重ねがビジョンを生み、中長期的展望も見えてくるようになった。一昨年度はついにNPO法による法人手続きが完了し、フィリピン現地でも1997年来パートナーなしの独立運営が行われ組織は充実してきている。また、その成果はすでに数十名を超える卒業した奨学生や、毎年生産を伸ばす事業地での米の出来高に現れている。2000年3月には待望の初の大学卒業生がマンニャン族奨学生の中から生まれ、協会の事業に参加、地域のマンニャン族に自信と大きな希望を与えた。

アマチュアからの脱皮

シプヨ村での収穫

 しかし、「すべての子どもに教育を」という理念、理想を仮にフィリピン共和国、西ミンドロ州サンタクルス郡に限定してみても、その道のりは険しい。同郡内だけでも推定5千人とも1万人とも言われるマンニャン族の中で、小学校に入学できる子どもは実に1%にも満たないのである。郡内でハイスクールに通うマンニャン族は、協会奨学生をおいて他にはいない。目標を郡内に限定しても達成への道のりは気が遠くなるほどである。しかも、就学を阻んでいるのは経済的理由ばかりでなく、少数民族と一般フィリッピン人を隔てる民族的文化的溝、偏見、などがあり、包括的総合的な取り組みが必要である。協会ではこれまで、総合農業構想やエコ農業学校コンプレックス事業を通して就学を奨励、支援するとともに学校のない山奥で手作りの識字授業を進めるなど、教育を中心に据えながら少数民族マンニャンの総合的社会開発をめざしてきた。現地で農業をはじめとする専門家を雇用することによりプロ化も進んでいる。事業地サンタクルス郡に住むマンニャン族だけでも、その非識字率をなくすためにはよりいっそうの専門的アプローチが必要であろう。また、地域社会に根付くばかりでなく、国際的機関と連携することも必要になってくるだろう。協会の法人化ははからずも協会のプロ化を意味し、アマチュアからの脱皮を通してこそますます増大する協会への社会的要請に応えることができ、その社会的責務をはたすことができるはずである。

援助の基本

 しかし同時に、「援助の基本」を忘れてはならない。それは「対話」を通した相互理解に基づいて計画立案、スケジュール管理、評価を行うということである。これは実に難しいことだ。我々は往々にして文化的違いや価値観の違いを合理的精神で捨象してしまう傾向がある。頭でわかっていてもその違いを実感できないため、不理解のまま先走ってしまうことがしばしばである。協会の軌跡をたどってみても、その例は枚挙にいとまがない。当初奨学金事業は、学費や食料そして町の学校に通うための寮を完備すれば簡単に進めることができると考えていた。就学の推進には経済的援助があれば十分と考えていたからである。しかし子ども達にとってタガログ人と同じ学校に通うことは想像を絶する困難があることには思い至らなかった。山の中を自由気ままに生きてきた彼らにとっては数分間同じ姿勢で座ることすら大変な苦痛である。トイレの使い方もスプーンの使い方も知らない子ども達には、タガログ人にとって当たり前のことが大きなストレスとなる。フィリピン人としてのアイデンティーティすらない彼らを見るタガログ人の目は冷たい。目に見えるあるいは見えない差別や偏見の障害を乗りこえての就学は大変辛いことである。こうした一見見逃しがちな、しかし大きな問題は毎日の「対話」を通してしか知り得ない。結果を出すことやスケジュールをこなすことばかりに力点を置くと、ついこの基本を忘れてしまう。勿論、ビジョンや計画立案、スケジュール管理は大切なことである。しかし、援助の対象となる人々、文化は我々と大きくかけ離れている。その「違い」を見極め、乗りこえるためには「対話」をし続けることを忘れてはならない。

ますます必要になる現地との対話

各村の酋長たちと

 援助とは異文化間の「対話」を通して行われる世界の「再発見」でもある。「対話」のない社会は井の中の蛙と同じく正しい世界観を築くことができない。少数民族マンニャンが抱える最大の問題は「社会からの疎外」による歪んだ世界観にあるといっても過言ではない。何世紀にもわたり差別と迫害にあえいできた彼らにとってタガログ人は「悪魔」のような存在である。それはマンニャン村にタガログ人が訪れると親が子ども達を隠す、という行為によく現れている。両者の間に「対話」はほとんどなく、二つの世界は寸断されたままである。こうした歪められた世界観は民族的トラウマとして彼らの社会をますます保守的、閉鎖的に縛り、進歩を受け付けない体質さえ作る。環境破壊の進む中飢えが蔓延しているにもかかわらず、農業という別の生業がなかなか広まらないのはこうした背景があるからだ。また、フィリピンをはじめとする途上国自体、長い間植民地化や戦争という暴力下でしか北側諸国と「対話」をする機会に恵まれなかった。これは南北両側にとって悲劇である。それぞれに相手を見る世界像が歪められてしまっているからだ。極論すれば、この歪められた世界像が今日の南北問題の根本原因であるといえる。なぜなら、「対話」は違いに価値を見いだすことであり、違いをひねりつぶすことではないからだ。NGOの使命は経済効果を生み出すだけではない。むしろ、少数民族と一般フィリピン人、フィリピン人と日本人あるいは「北と南」の間に「対話」をできる「場」を作ることにあるのではないだろうか。幸い協会の法人化と時を同じくして、現地でボランティア活動を希望する日本人の数が急増している。こうした新しい社会的要請に応えることはとりもなおさず協会の今後の課題、使命といえよう。

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開発モデルの作成

 過去11年の最大の成果は地域開発のためのモデル、あるいは方法論を確立することができた点である。「すべての子どもに教育を」という理想を現実のマンニャン社会で実現するにはどうしたらよいか。その最も効果的な方法は何か。過去11年はこのモデルと方法論を作成するための試行錯誤の連続であったといえる。

 そのモデルの中核となるのが、「奨学金事業」と連動して行ってきた環境にやさしい「総合農業構想」と「エコ農業学校コンプレックス事業」であり、この三つの柱を絡めながら総合的な農村開発を行うことが結果としてマンニャン族の就学率を向上させ、彼らの社会をフィリピン社会に開かれたものとし、地域社会全体を活性化する最短距離となるのである。勿論モデルはいまだ完璧ではない。今後も対話と経験をフィードバックし、より成熟したものにしていかなければならない。

地域社会へ根付いた事業

 当協会のマンニャン奨学生の数はサンタクルス郡に住むマンニャン族全体の推定就学予定者数と比べれば1%にも満たない。しかし、現地サンタクルス郡でハイスクール(中等教育、フィリピンでは準義務教育)に就学しているマンニャン族の子どもたちは協会奨学生の他にはいず、ましてや大学教育となると西ミンドロ州全体でも例外中の例外といえる。12年に及ぶ奨学金事業は落伍の歴史でもあったが、これまで30名以上のハイスクール卒業生、2名の大学卒業生を出すことができた。卒業生の中には政府の進める少数民族の法的支援事業の地域代表者として活躍したり、選挙時には選挙管理委員会からマンニャン族の投票支援の任務を任されたりなどさまざまな活躍をしている。また、マンニャン村公立学校での給食事業は閉校の危機にあった学校を救い、事業の完了した後も安定した学校運営を行っており、協会事業の恩恵を受けた者の数は奨学金事業だけに絞っても大変な数になる。こうした地道な努力は地元でも高く評価され、郡当局からもその長期にわたる努力に大きな感謝が寄せられている。

 また、パイロット地域で進めてきた農村開発事業は地元のマンニャン族に大きく知られるようになり、毎年援助依頼件数は確実に増えている。事業が地域社会に十分根付いたからである。

メロディカ演奏をする21世紀協会奨学生たち

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まだ足りないコミュニケーション

 先にも少し触れたが、援助側と受益者との間にある文化的、民族的違いは想像を絶している。「文字」や「数字」はともかく暦さえ持たない人々に農業を教えることにどういう障害があるのか、「定住生活」と「移住生活」とは何が違うかは対話に対話を重ねてやっと理解できることである。ましてや長年差別に苦しんできた彼らは簡単に心を開かない。ほんの小さな判断にも双方が徹底的に納得できるまで話し合わなければならない。しかし過去度々この課程を過小評価し、日本側だけの判断、あるいはスタッフだけの判断で事業を進めることがあった。スケジュール消化に追われ、彼らの意見に耳を傾けなかったがために事業の直前に拒否されることもあった。95年度のシプヨ村での風車設置はその好例といえる。総合農業構想の一環でシプヨ村に取り付けられることになった風車は、その納品直前に村人に拒否されたのである。無償で設置される風車を拒否する村人の真意が当初はわからず、関係者一同大変とまどい、怒りさえ覚えたのであるが、その理由はこうだった。見知らぬものや外来のものに彼らは異常な恐怖心をもっている。当地でスタッフが蒔いた野菜の苗を、見たことがないと言うだけの理由でむしり取るほどである。風車というものを見たことがなく、それがどういうものか想像することもできず、そのため異常な恐怖心を抱いたのだ。今では村びとの誇りにさえなっている風車も、危うくスクラップになるところだったのである。当時関係者の間では総合農業構想という新しい理想に酔い、その理想を受益者にブレイク・ダウンすることをおろそかにしてしまった悪例である。高い理想であればこそ、コミュニケーションにより時間をさいていかなければならない。

開発奨励国と開発破綻国の意識の差

 コミュニケーション不足による障害は受益者と援助側だけではない。日本人スタッフや日本側と現地スタッフの間にも横たわっている。そしてこの背景には、そもそも開発にたいする二国間の態度の差が現れている。フィリピン政府が進める農業は機械化、合理化を駆使したいわゆる近代型農業であり、いまだに食糧自給率が低く、また十分な食糧を輸入する外貨も持たない現状を考えれば当然のことともいえる。しかし、この方法は全ての地域に有効であるとはいえない。文字も読めず、お金を数えることすらしらない人々が耕耘機を手に入れたばかりに全ての財産を失ってしまった例など枚挙にいとまがない。また機械と化学肥料をフルに使った農業の弊害は先進国ではよく知られていることであり、アメリカ、日本の有機農業のブームはその対局にあるといえる。化学肥料による土壌流出が激しいアメリカはすでに90年代に農業法を制定し規制を強化した。こうした意識の差はしばしば事業運営の障害となる。「機械化の何がいけないのか?」「化学肥料の何がいけないのか?」といった受益者の疑問に答えるにはまずそれに携わる現地スタッフ全員を十分に納得させなければならない。これが大変である。やっと機械化により厳しい労働から解放されるチャンスができた途端に「それはダメ!」と言いきるにはそれなりの説得力を持たなければならない。過去何度も説明不足でスタッフと衝突することもあったが、今後ますます日本と現地スタッフ間のコンセンサス作りに力を入れなければならない。

ますます必要な専門性

 上記のような援助哲学にもかかわる重要事項のコンセンサスを作るにはまず、より高い専門性を協会として獲得していく必要があると思われる。その具体的方法として、今後日本の大学や国際機関との知的、技術的交流を広めることが考えられる。また、協会の理念や哲学にあった研修に現地スタッフが参加する機会を増やすことも重要である。

 専門性はこうしたスタッフとのコンセンサス作りに重要なばかりではない。今後協会が現地で十分なサービスを提供して行くには、医療、法律面でのネットワーク作り、各種エンジニアリングを含めた人材登用、人材育成を急がなければならない。

経営規模の伸び悩み

 現在の最大の問題点、あるいは課題は事業規模の伸び悩みである。地域に根付き、援助要請件数が増える一方、資金調達はますます困難となるばかりであり、地域のニーズに十分見合っているとは言えない状態だ。現に新規案件については資金力、人力両面での不足を理由に断ってきている。これまで限られたパイロット地域の開発を中心に行ってきたが、地域に大きなインパクトを与えるには質とともに一定以上の量も必要であり、規模拡大のための資金力作りは大きな課題である。

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コミュニティーづくりと法人化

 たびたび触れてきたように、事業の発展、現地自立のかぎは、「相互理解」「事業理念と方法論のコンセンサスづくり」である。事業の最大の困難は、狩猟採取を生業とする半遊牧民で国民意識さえない受益者のマンニャン族、「良い生活=経済発展、機械化」を教えられてきた現地フィリピン人、発展のきわみに達し社会の老齢化、硬直化の進む日本の間での気の遠くなるような富、知識、経験、意識の差にある。そもそも少数民族の「人権侵害」「社会疎外」「貧困」(さまざまなレベルでの自由の剥奪)といった問題はこの「違い」が支配の論理、持てるものの論理に悪用され、固定化した結果であるだけに、違いを乗り越え、相互理解を築き上げることは協会事業のゴールともいえる。

 そのための具体的活動として、さまざまなレベルでのコミュニティー作りを推進する。コミュニティーとは「相互理解」に基づいた、あるいは「相互理解」を深めるための場であり「自己実現」を可能にしてくれる場である。またそこでは人間のさまざまな権利、自由が重んじられ(生存の自由、経済活動の自由、教育を受ける権利など)、民主主義社会そのものでもある。

 各マンニャン村のコミュニティー、協会奨学生のコミュニティー、マンニャン女性のコミュニティーとさまざまなレベルのコミュニティーを形成しその手段として、彼らが日常経験するさまざまな不自由(飢え、病気、字が書けないなど)を題材に勉強会、セミナーを開催する。また、協会そのものがコミュニティーになるプロセスは現地法人化のプロセスそのものである。育ちつつある現地・日本側両国のボランティア・スタッフを含め協会事業にかかわる現地のスタッフ全員が協会理念や方法論を理解することなしには現地事務所の自立は不可能だからである。

マンニャン人間開発センター構想

インターン生と学生たち

 21世紀協会のユニークさは、そのソフトの充実にあるといえる。資金不足という現実問題が背景にあるものの、資金のほとんどは教育そのものや人件費にあてられてきた。ほとんどのNGOが「はこもの」でスタートするのと比べると例外中の例外である。現地のだれもが驚くほどの数の奨学生が、せまい借家にスタッフともどもひしめき合いながら共同生活をしており、"文明の力"といってもパソコンぐらいで慢性的停電に備えた発電機すらない状態である。フィリピン人は食費に甘い、という声をよく耳にするが、スタッフと奨学生が何を食べているかを見れば、現地の人でも驚くほどの質素さだ。

 "資金の有効利用"、という面ではかなりの自負があるものの、こうした「はこ」の不在は今後の飛躍的発展にはむしろマイナスである。充実したソフトを活かしきれる「はこ」を作ることは、地域の「非識字の撲滅(21世紀中葉まで)」といった大きな目標達成には不可欠である。センターはいわば、過去の実績や経験、また奨学金事業やエコ農業学校で育った人材といったソフトを入れるハードであり、また、あらたなソフトを開発する機関である。

日本人インターンシップ

 人材の育成は、現地の受益者の側、南側ばかりでは不十分である。ますます分極化する南北問題や深刻化する自然環境問題に対応するには、「良いガバナンス」や「教育」を世界的にプロモートする能力をもった人材を北側諸国内でも養成していかなければならない。協会ではこれまでの学際的にすぎる、また官僚的な開発のあり方を変える「地元に根ざしながらかつ普遍性を持つ開発」「住民参加型開発」のプロを育てるプログラムを充実させ、積極的に日本からの若者ボランティアを受け入れていく方針である。  こうした努力は、協会事業の持続性そのものを強め、「すべての子どもに教育を」という協会理念、理想を将来世界に普及させる原動力になるものである。

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2002.3 21st Century Association