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インターネット版 《サンサーラ》

SamSara

貧者の一灯


 「貧者の一灯」ということばを思い出します。この活動を始めて間もなくの頃、ある会員が「貧者の一灯ですが」と、会の活動に千円を寄付してくれました。年金暮らしの方です。その後、この1000円は毎月欠かさず届きました。たまに送金のない月があると、病気でもされたのではないかと心配してしまいます。しかし次の月には、2000円の送金があります。月1000円などは、外で昼食でもしてしまえばなくなってしまう額です。中学生のこづかいにもならないかもしれません。そんな金額をこの会員は、どんな思いで毎月欠かさず送金してくれるのだろうと考えるとき、どれほど勇気づけられたかしれません。

ボランティア貯金の配分金がおりる

 21世紀協会では、かねてより、郵政省のボランティア貯金の配分金を申請していましたが、今般、1,827,000円の配分金がおりました。この配分金は、子供たちの給食費や生計自立プロジェクトの拡大に使われます。ごぞんじの方も多いかと思いますが、このボランティア貯金は、加入した人の郵便貯金の利子の20%を郵政省が預かって、各NGOに配分するというものです。1年間の利子の20%というと、加入貯金者で1人平均年間350円程度のものです。しかし、674万人が寄付をすると、総額で23億円あまりのお金が集まるのです。まさに貧者の一灯を見る思いです。

「金持ち日本」?

 先般、フィリピンであるNGOの幹部の話を聞く機会を得ました。彼が言うには、本当のところ、フィリピンは海外の援助に頼る必要はない、国内の裕福な人からの寄付で、十分な活動ができるはずである。しかるに、金持ちは決してお金を出そうとしない、と。彼は、自分の本当の使命は、フィリピン人が同胞に手を貸そうとする気持ちを喚起させることだといいました。日本など諸外国の援助をあてにしなければならない自分たちが情けないとも。

 また、日本でNGOに対する寄付を勧誘するときに、こんな発言をよく聞きます。困っている人に学費を出してやるのは有意義な活動には違いないが、自分にはそんな余裕はない、そんなことは金持ちがやればいい、と。

 しかし、われわれ会員のほとんどは、「普通の生活をしている普通の日本人」なのです。「もうちょっと自由になるお金があれば楽なのになあ」とは思いつつも、そこそこの暮らしをしているごく普通の日本人なのです。ただ、自分の外の世界に目を向け、自分たちとは比べものにならないほど苦しい生活を強いられている人たちのことを思いやる心はもっています。余っているわけではないお金を工面して、困っている人たちに手をさしのべることはできます。わたしたちは決して、お金はあるが、心を忘れた日本人ではありません。

万灯籠を灯す

 フィリピンで、里子たちに会ったとき、こう言いました。「わたしたちは、あなたたちのことをかわいそうに思うからお金を送るわけではない。あなたたちを愛しているからだ。」と。子供たちも、必ず、「里親のことを神様にお祈りしています。」と手紙に書いて来ます。また、子供たちは言います。「自分たちは、世話になった人たちに直接恩を返すことはきっとできないだろう。でも、いつか自立したら、今度は、ほかの困っている人に手をさしのべることによって、その恩を返したい。」と。

 わたしたちは活動のはじめに、「ほんのすこしだけ何かをしてください」とよぴかけました。その「ほんの少し」の善意が集まって、こんなにも早く、大きな愛が実りはじめました。

 その実が、鳥に運ばれて、遠いところで新たな花を咲かせ、地上を花で埋め尽くす日を、あるいは、一灯、一灯をあつめて、万灯籠を灯す日を夢みます。


(池田晶子)

《サンサーラ》 6号 1992.10.1初掲

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